北海道遺産ジンギスカン応援隊
成吉思刊

室蘭工業大学のジンギスカン鍋で!

基本 宅ジン 2017.03.19

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2013年6月、旭川で行われたジンギスカンマルシェ。100個の七輪を並べ、トレーラーをステージとした大規模なジンギスカンイベントで、不肖・千石はフォーラムの司会進行を務めるという大役を仰せつかったことがあります。

パネリストは松尾ジンギスカン、ソラチなど早々たるメンバー。そのなかに、ジンギスカン鍋まで作ってしまう金属研究の巨匠、室蘭工大の清水一道先生が!

打ち合わせの段階で、先生の熱いトークに全員やられた〜〜と!なったわけですが、なにせ会場は飲んで食っての大騒ぎ。こっちもガッツリノリノリでいかないと聞いてももらえないので、ステージにあがったと同時に、ビールで乾杯!というオープニングを急きょ、主催者に提言してやってしまった千石でしたが、おかたいはずの清水先生は、一気のみして、おかわりを要求! これで一気に会場がもりあったのでした。

そして、帰りに・・・なんと清水先生から、ジンギスカン鍋のプレゼントをいただいたのです。それがこれ! ずっと引っ越ししたあとカセットコンロが床下から発見できずにいたのですが、新しいコンロを購入し、やっと使いました。
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最近はホットプレートジンギスカンばかりでしたが、やっぱりジンギスカンは、
ちゃんと鍋を使わないとダメだなあと、実感!

肉の味もですが、野菜の味がまったくちがうのです。
ラムの肉汁(にくじゅう)と脂が、強火で焼かれた野菜に染み込み。
うまし!

ああ、二日に一度は食べたいなあ!と思うのでありました。w

ジンギスカンの歴史

基本 2014.10.08

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一九三六(昭和十一)年、農林省出入りの食肉商・松井初太郎がジンギスカン料理専門店「成吉思荘」を開く。これがジンギスカンの夜明けです。
彼は当時、特許まで取得していたのですが、戦争のどさくさで更新しなかったようで、現在は誰も特許を持っていません。もし特許が長年続いていたら、いまのジンギスカンの繁栄はなかったかもしれないませんね。

その特許がどのようなものだったかはわかりませんが、東京に「成吉思荘」ができた一九三六(昭和十一)年、札幌の狸小路に「横綱」という店のメニューにジンギスカンが登場していることからもわかるように、特許=ジンギスカンの発祥ではないだろうことがわかります。

ジンギスカンは、満洲鉄道の公主嶺農事試験場畜産部が作り出し、ジンギスカンと名付けたのは後の満洲国の総務長官、当時の満鉄調査部長駒井徳三さんであったのではないかという説が、現在のところ有力といわれています。
しかし、これも本当かどうかはわかりません。
確実にいえそうなのは、大正時代に中国北部から伝わった羊肉料理を大戦後に発展させたのが現在のジンギスカンであるということだけなのです。